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パンの歴史館

2ヨーロッパに広まったパン

中世からルネッサンスへ、
庶民の食卓へ

5世紀にローマ帝国が滅亡して以降、15世紀半ばまで千年間も続いた中世ヨーロッパでは、戦乱がくり返され、パンづくりの技術はあまり発達しませんでした。それでも、帝国支配が終わり各地に誕生したそれぞれの国で、独自のパンがつくられるようになりました。

よく知られるように、キリスト教ではワインはキリストの血、パンはキリストの肉とみなされます。そのため教会や修道院で、信者へ与えるためのパンづくりが行われました。しかし、このころパンづくりが許されていたのは一部のパン屋と教会や修道院、そして貴族に限られていたのです。

ようやく庶民に家庭でパンを焼くことが許可されるようになったのは、14世紀から16世紀にかけて、イタリアではじまったルネッサンスの時代のことでした。それ以降、パンづくりはルネッサンス文化とともに花開き、ヨーロッパ各国へと広まっていきました。特にアメリカでは、昔からの伝統から解き放たれ、パンの生産の合理化・量産化が発展し、砂糖や油脂などをつかったリッチなパンも作られ始めました。

パンの小話

「クロワッサン」はオーストリア出身

クロワッサンといえば代表的なフランスのパン。でも、じつは生まれはフランスではなく、オーストリアなのです。17世紀、オーストリアへ侵入するために地下トンネルを掘っていたトルコ軍。その音を聞きつけ、オーストリア軍へ通報したのが、地下の工房で働いていたパン職人でした。無事にトルコ軍を撃退したオーストリアは、戦闘の勝利を記念し、トルコ国旗のマークを模して三日月型のパンを焼いて祝った--それがクロワッサンのはじまりです。

 そんなクロワッサンがフランスへ渡ったのは、1770年にオーストリア王女マリー・アントワネットが、後のフランス国王ルイ16世に嫁いだときのこと。クロワッサンやブリオッシュが大好きだった彼女は、自国のパン職人も連れてフランスへ行ったのでした。