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パンの歴史館

3鉄砲とともに日本へやってきたパン

戦国の世から江戸時代へ

日本へ本格的な西洋風のパンが伝来したのは1543年。種子島に漂着したポルトガル人によって、鉄砲とともにもたらされました。私たちがふだん何気なく使っている「パン」という言葉は、ポルトガル語から来ているのです。

その6年後、フランシスコ・ザビエルらキリスト教宣教師が日本へやってきて布教活動をはじめると、「キリストの肉」とされるパンも、全国へ広まっていきました。なかでも、南蛮貿易で栄えた肥前(長崎県)の平戸や長崎では、パンづくりが盛んに行われるようになりました。

南蛮商人たちは発酵パンばかりでなく、航海のための保存食として「ビスコート(=ビスケット)」と呼ばれる固いパンもつくらせていました。しかし、小麦より米づくりが主流で、米を主食とする日本では、パンはあくまでも来日する外国人のためのものであり、日本人のあいだには、パン食はなかなか根付きませんでした。

その後、江戸時代に幕府は鎖国政策を打ち出し、キリスト教や外国との交易は禁止されてしまいました。
それからというもの、江戸時代が終わるまで、パンづくりは唯一海外へ開かれていた長崎の出島でのみ、そこに住むオランダ商人のために、ほそぼそと続けられていきました。